tatsumitatsu

ロードバイクとキャンプ中心のブログです。

自重して旧堺港ポタリング

2021年7月24日

昨日の脱水症状?事件を反省して、本日は近場の旧堺港をポタリング

朝10時頃出発。珍しくラクマに出品していた本が売れたので、郵便局に持ち込む。そのまま海岸方面へぷらぷら。 

f:id:tatsumitatsu:20210724122614j:image出島漁港に着く。

 

f:id:tatsumitatsu:20210724122744j:imageここでは土日限定で堺漁連がとれとれ市を開催している。入ると海鮮を焼く良い匂いが。夏バテ気味だが、この匂いは食欲をそそられる。今度、家族と食べに来よう。

参考:とれとれ市(堺観光コンベンション協会HP)

 

f:id:tatsumitatsu:20210724123225j:image旧堺燈台。高速の高架が良い影を作るので、少し休憩。

f:id:tatsumitatsu:20210724123452j:image隣に南蛮人渡来の巨大壁画がある。うーん、微妙なセンス。俺は海賊王になる!

さて帰ろう。旧堺港から南海本線堺駅の方へ向かう。途中、歴史好きにはたまらないポイントがある。

f:id:tatsumitatsu:20210724131714j:image幕末から明治初年にこの地で起きた2つの事件の碑だ。1つは天誅組上陸の碑。幕末に大和で挙兵をした天誅組だが、彼らは京都から淀川でいったん大阪湾に出てこの地に上陸、大和に入り五条代官などを襲撃したらしい。無謀な挙兵であったが、後の自由民権運動にも通じる、土佐藩士たちの痛いほど純真な思想は理解できる。思わず頭を垂れたくなる碑だ。

f:id:tatsumitatsu:20210724133101j:imageもう1つは、土佐十一烈士の碑。「明治初年佛人撃攘之處」という苛烈な文字が刻まれている。無通告で侵入してきたフランス軍艦の兵士を、当時堺を警固していた土佐藩士11名が殺害。その後、フランス政府の要請でこの11名は妙国寺切腹となったそうだ。

幕末から明治は薩長の天下。そのために命を落としたといってもいい土佐藩士の若者たち。その数少ない生き残りの田中光顕がこれらの碑の建立に関わったそうである。土佐贔屓の私としては、彼らと堺の結びつきを示すこれらの碑を大切にしたいと思う訳である。大切に?どうやって? それはもちろん、心の片隅に記憶しておくというだけのことであるが。

本日は約10kmのライドで終了。それでもバテるね。