引きこもりのアフは滅多にシェルターから出てこないので存在感が空気なのだが、出てきたらあまりの可愛さにビビる。
可愛い。泣けてくる。
少し前なので記憶がおぼろだが、漫画で読んだ宗教についての問答。
善人ですら往生する。悪人はなおさらという悪人正機の話から展開して
「では救われるのは人間だけか。畜生は救われないのか?」
との問に、主人公は
「いえ、動物はそもそも救う必要はないんです」
とあっさり。言外に、罪を犯すのは人間だけ、という皮肉がこめられている。
野性味あふれるクレタ。まさに本能の権化。
こいつらを見てると、先の漫画の話も、そうだよなーと納得してしまう。
アダムとイヴが食べた禁断の果実。これがリンゴかイチジクか、というのはどうでも良い。これが「知恵」の実であったというのが意味深である。キリスト教は、人間の祖であるアダムが知恵を得たのが、人間の原罪だと定義している。知恵を得たがために、この世に生きる上でさまざまな苦しみがあるのだと。
でも今の豊かな社会を見てみろ。それでも人間は知恵などなくても良かったのか? という反論は当然あると思う。が、ペシミストな私的には残念ながらYESである。
今の人間の知恵は、生活水準の向上という薄化粧の下に、支配と被支配を成立させる考え方が存在している。これは国家レベルの視点から、隣人に対するレベルまで、あまねく存在している。私にもある。
しかし、強いものが弱いものを虐げるという思考は、弱肉強食が地球上の自然の摂理であるから、本能に属するものだ。とくに人間が獲得した知恵のせいではない。
では、知恵というのは何なのかというと、この弱肉強食の本能を助長するためだけのものでしかない、というのが私の見解である。アダムとイブが得た「神々の知恵」がこの程度とは、本当にお粗末なものである。しかし、これが地球にすむ生物が獲得する知恵の限界であろうと思える。人間社会は未来永劫争いが絶えることはないであろう、きっと。泣きたくなってくる。
いくつかのSF作品には、そもそも戦争とか、相手を傷つけるという概念を、生物的に持たないエイリアンが登場する。こういった存在が知恵をつければ、当然その本能が助長され、文明が進歩するであろう。そうして、恒星間移動の科学力を持って、地球人と晴れてコンタクトを果たすと、その狡猾で好戦的な性向に大変なカルチャーショックを覚えるのだ。
生物の進化過程で弱肉強食的な環境が生じない世界というのはどういうものであろう。生命の維持に他の生命エネルギーに頼らず自己完結できるような存在。二酸化炭素なしで光合成できる(変な表現だが)植物だけの世界だと、そういった知的生命体に進歩する可能性はあるのだろうか? まあ考えても詮無いことだが。
最初に取り上げた漫画の宗教問答も、主人公のセリフはカッコいいが、まあ偏った考え方である。人間の弱肉強食は罪があり、畜生の弱肉強食には罪がないと言ってるのだから。
ミルキーはとても活動的。餌の時間になるとよちよち這い出てきて、舌をペロペロとやりだす。
はあ、なんだかんだ理屈をこねたけど、我が家のヤモリ軍団を見ていると、やっぱり思ってしまうのである。
君たちは無罪!
だと。