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SF回顧録〜断絶への航海

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ホーガン作。

無政府主義の理想郷を描いたSF作品。

階級や貧富の差がなく、一人ひとりが自分にできることをして社会に貢献し、それで世の中がうまくまわっている世界を描いている。

あり得ないと思えるが、それがなかなか緻密に舞台設計されていて、あーこんな世の中だといいなと思ってしまう。読んでいて気持ちがいい。

しかし一方で、この地球上では実現不可能だと思い知らされる。なんて情けない世界に自分は生きているんだろう…と涙してしまう、私にとっては少し後味が悪い本だ。

 

今の地球、というか先進国社会は、何もせずに贅沢に暮らせる境遇、いわゆる金持ち父さんの考え方が主流になってしまっている。

私が子どもの頃はそんなことはなかった。人間はしっかり働くべきだ、みたいなことを親か先生か、または別の誰かに教えられた。

自分の食べているものは、別の誰かが作っている。家も服も、移動のための車も、目に見えないエネルギーも、誰かが作っている。

これを享受だけして、自分は何もしない、というのは、人としてどうか。恩を受けたら、自分にできる別の形で返さないといけない。損得なしのお陰さまの論理である。

今ではこういう考え方は廃れ、いつしか金持ち父さんの暮らしが理想となっている。

 

以前にも書いたが、人間の知恵の大部分は、支配・被支配の関係を構築することに費やされているように思えてならない。国家レベルから一対一の個人レベルまで。みな、上のステージ、支配する側へこぞって駆け上がろうとしている。

自分が世の中のためにできること、(仮に他人よりはうまくできなかったとしても)それを全うしておれば、社会に居場所があるはずなのだが、今の人は「世の中のために何もしないで、贅沢に暮らしていける地位」をめざす。

 

誰かを犠牲にしないと幸せになれない。地球上の資源は有限だから取り合うしかない。仕方がないんだよ、ミスター。

悲しいかな、これが有史以来の法則だ。万民が幸せになれる世界の創造は、万物の霊長にも至難の業なのだ。

と考えると、人間の歴史は特段素晴らしいものではない。人間の社会は特段完成されたものではない。だから、私は思うのである。滅びてしまっても良いと。

まあ極端な考え方だが、これを克服できないのであれば、この世の為政者、知識人、権威ある人は、みな大した存在ではない。

 

当の私はもちろん無策なものだから、褒められもせず苦にもされずを心掛けて、あとは楽しく生きて命を終わらすであろう。

地獄に閻魔様がいたら、ぜひ私の一生を採点してもらいたい。すごく低スコアだと思う。しかし私は胸を張って答えるだろう。

仕方がないんだよ、ミスター(笑)