2025年8月13日(水)・14日(木)

なぜ津山なのか? それは安い宿があったからだ(笑) まず宿を決めて、そこから周辺の観光スポットを調べ始める。我が家のスタンダードだ。
で、津山についてネットで調べると、「津山三十人殺し」のネタがよくヒットする。ああ、例の事件があった場所か、というのが私の第一印象である。
津山三十人殺しは、太平洋戦争中に同地で起きた事件で、とにかく犯人のいでたちが異様なことで有名である。頭の両側にハチマキで懐中電灯を1本ずつ結わえつけ、日本刀と散弾銃を持って村民を殺しまくった。横溝正史の八つ墓村や、島田荘司の龍臥亭事件の題材となり、私もこの両氏の作品で知った次第である。同事件は、2019年の京都アニメーション放火殺人事件が起きるまで、明治以降の単独犯による最多の犠牲者数だったらしい。
・・・という観光には役に立たない知識を仕入れつつ、津山へ。大阪から車で約2時間半の道のり。

同地のメインスポット、津山城。天守はないが壮大な石垣が残る。

森忠政が築城。織田信長の小姓として有名な森蘭丸の弟だ。忠政も一時、信長の小姓を務めたが、不適格だとして任を解かれたという。結果的に本能寺の変に巻き込まれずに済み、津山藩の初代藩主となった。結果オーライである。しかし、森氏は子孫が絶えて4代で終わり、その後は松平氏が入って9代続き、明治維新を迎える。廃城令によって天守など全ての建物が取り壊されたのは残念である。

城内にある唯一の建物、備中櫓は2005年に再建されたもの。
天守台からの眺め。相当な高所である。もし天守が残っていれば、姫路城などに匹敵する威容を誇ったに違いない。

森忠政の像。仏頂面が石破総理に似ていると、家族で盛り上がった(笑)

城の隣にある、つやま自然のふしぎ館。大量の生き物のはく製がある。

象までいる。

カッコいい。

かわいい。

さらに隣に、歴史民俗館。津山の豪商、錦屋の所蔵品を展示している。

織部焼。素晴らしい。
なお、錦屋の一族に、森本右近太夫なる人物がいる。この人、江戸時代初期に御朱印船でカンボジアに渡り、かの有名なアンコールワットに参拝(当時はインドの祇園精舎だと誤解されてたらしい)し、伽羅の壁に墨書をしたためた。日本人の落書きの元祖を誇る人物である(笑) 世界ふしぎ発見か何かの番組で、アンコールワットに日本人の落書きがあるということを見たことがあるが、こいつだったのか!と思わず笑ってしまった。どこでどんな人物に出会うか分からない。旅の醍醐味である。
本日のお宿、出雲街道津山城東くつろぎ亭へ。
施設名のとおり、出雲街道の城東というエリアにあるリノベーション済みの日本家屋、いわゆる民泊施設。5人1泊28,000円也。

部屋。
共用スペース。
着物が飾ってある。
風呂、トイレは共用だが、部屋も広くたいへん落ち着く施設であった。

翌朝、周囲を散策。同施設がある城東エリアは、津山の城下町の面影が残る、風情ある町並みが特徴だ。

なんと箕作阮甫(みつくりげんぽ)の旧宅があった。ペリー来航時に米国大統領国書の翻訳を行った人で、当時第一級の知識人だ。隣に津山洋学資料館という施設があったが、家族は興味ないだろうからスルー。
その後、車で30分ほどの奈義町現代美術館へ。施設名に「現代」という言葉を使った日本初の美術館だそうだ。


太陽、月、大地をテーマにした展示だが、正直これでおわり?という何とも微妙な・・・

たまたま開催していた片山高志氏の「何かの何かだと思ったら、何の何でもなかった」展がとても良かった。



同氏の作品は個性的で、全ての作品に一本筋が通っていて、とても素晴らしかった。

有名な温泉街だが、それほど人も多くなくゆったりと汗を流すことができた。

今回の観光エリアとは全く関係ないが、とりあえずお土産としてはコレ。
岡山県といえば、後楽園や倉敷といった瀬戸内海沿岸が有名だ。津山などの山手は観光地としてはメジャーではないだろう。それでも足を運べばたくさん興味深い出会いや発見がある。しかしさすが内陸部、夏の暑さは尋常ではなかった。まあ天気がよろしくない中、雨は運よく避けられ、予想外に人が少なくて良かった。民泊は初体験だったが、クセになるかも(笑)