tatsumitatsu

ロードバイクとキャンプ中心のブログです。社寺・美術館・博物館巡りなどの記録は「その他雑記」にまとめています。

姫路城と池田輝政

2026年8月14日(金)

家族で姫路城へ行ってきた。

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国宝5城の一つだし、日本初の世界遺産認定施設の一つだし、なんと言っても家(大阪府)からさほど遠くない。死ぬまでに行っておかないと(大げさ)と思っていたが、やっと実現できた。

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初見は、当たり前だが、白い城だなあと(笑) いや、けっこう感動した。白壁の部分、まるで背景の空が透けているようだ。

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大阪城や名古屋城など、大体のお城は勇壮なお姿、すなわち鋭角的で、天に向かって尖っているイメージなのだが、姫路城はそうではない。台形というと元も子もないが、縦よりも横に広がりがあって、装飾の破風もゆったりと添え付けられている。小天守が子どものように脇に寄り添って、優しくも頼もしいお母さんのようである。外様大名ひしめく西方に対する重要な防御拠点だったそうだが、このお城に弓を引くのは気が引けそうである。

 

ちなみに以下が、大阪城と松江城。

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バッチコーイ! たいへん威嚇的である。これなら攻め手も、ケンカ上等! 俄然やる気になってしまうであろう(笑)

 

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では城内へ入ろう。ちなみに土足厳禁である(靴を入れる袋をもらえる)。

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城内は非常に質朴とした造りである。姫路城に限らず、当時の天守は戦時を想定した要塞・武器庫であり、人間が居住するための設備、例えば襖や畳などは基本的にない。代わりに、鉄砲や槍を立て掛けるフック(武具掛け)や、石落とし、銃眼などの物騒な設えがあちこちにある。

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こんな巨大な建物がすべて木造とは。鉄筋コンクリート造りである大阪城などの模擬天守と比べると、そのスゴさが余計に感じられる。

なおこの日は31度の真夏日で外はたいへんな暑さであったが、城内は風が通っていて幾分か救われた。まあ日によっては恐ろしい暑さになるであろう。

 

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プロジェクトXでやってた屋根瓦の目地漆喰。白鷺の白さを保つ細やかな職人技だ。

 

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大天守の最上階にある刑部神社(おさかべじんじゃ)。地主神である、おさかべ姫を祀る。代々の姫路城主を悩ました、同神のエピソードは調べるととても面白いが、長くなるので割愛する。まあ、その荒ぶれ様がハンパないので、姫路城の最上階に祀られることになった、と理解してよい(笑)

 

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西の丸にある百間廊下(ひゃっけんろうか)。ここに徳川家康の孫娘・千姫が一時期住んでいたということでたいへん詳細な展示があった。

千姫は言わずとしれた豊臣秀頼の正室である。大阪の陣によって秀頼が処刑されると寡婦になるが、その後、本多忠刻(徳川四天王・本多忠勝の孫)と結ばれる。この恋愛譚の舞台がここである。悲劇のヒロインがハッピーエンド(?)になる物語は、特に若い人たちには興味深いであろうが、50を過ぎたオジサンには眩しすぎるので深入りしない。

その他、姫路城には、有名な播州皿屋敷の怪談や、腹切丸(はらきりまる)のゴシップネタなど、エピソードが絶えないが、いろんなサイトで紹介されているのでこれも割愛する。

 

今回の姫路城観光で、私が特に興味を持ったのは、この城を作った人、池田輝政のことである。

白状すると、これまで池田輝政なんぞ、これっぽちも興味なんて持ったことがなかった。なんせ地味である。織田、豊臣、徳川の3代に仕えているから、数々の武功をコンスタントに立て続けたんだろうけど・・・地味である(くどい)。

特に豊臣政権下では、他の同格の武将たち、例えば加藤清正や福島正則、細川忠興などと比べると、彼らの個性(良くも悪くも)に押されて何とも影が薄い。さらに、多くの戦国武将が命がけで出兵した朝鮮の役には参加していない(日本国内で兵站を担当)し、関ヶ原の戦いでは東軍として参戦するも毛利軍とにらめっこしていただけである。

一見するとパッとしない池田輝政。しかしこれを逆説的に捉えると、彼は時の天下人たちから、すなわち豊臣秀吉からは羽柴姓を賜り、徳川家康からは娘を娶るなど、外様大名としては破格の待遇を受けている。パッとしないどころではない。

これを池田輝政の生来の人徳、運、堅実な状況判断と世渡り能力に帰する、などと処理してしまうのは容易い。というか、それ以上の解釈を講じるとっかかりがない。奇抜なエピソードがないから興味も湧かなかったし、大河ドラマの主役になることも金輪際ないのである(笑)

しかしこの度、彼が建てた姫路城を目の当たりにして、少し認識が改まった。

 

日本中にあまたある城のほとんどを見ずして断定するのはイケナイことだが、姫路城はあまりにも個性的である。白くて美しい城というと、個人的には名古屋城を思い浮かべる(今も総合的な造形美として評価すると、姫路城よりも名古屋城を推したい)が、こと「白さ」という点で姫路城は次元が違う。

これを作った池田輝政・・・徳川から、西国の抑えを命じられて姫路藩に着任し、いざ城を作るとなって、こんな白く透き通った城をクリエイトするとは。これは尋常な感性ではない。やっちゃった!(テヘペロ)という彼のしたり顔が見えるようである。

ここに池田輝政の奇抜さ――カブキものとしての素顔を発見したように思えた。

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そんなわけで、贔屓の戦国武将を一人発見することができて嬉しいところだが、実は観光中は暑さでフラフラであった。姫路城を見たあと、隣の市立動物園にも立ち寄ったが、熱中症の一歩手前だったと思われる。救急車のお世話にならなくて本当に良かった。

古代オリエント博物館へ

2026年7月25日(土)

池袋のサンシャインシティにある、古代オリエント博物館に行ってきた。

 

古代オリエント・・・確か中学の歴史の授業で学んだが、チグリス・ユーフラテス川流域にメソポタミア文明が栄えたということしか記憶にない。ここで一から勉強しよう。

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そもそも人類の直接の起源は、このお方。約30万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンス(新人)だ。彼らは20万年前からアフリカ外へ飛び出していく。そして2万年前にはユーラシア全域に広がったとされる。

 

ちなみに日本にこのお方がやってきたのは3万8千年前らしい。ユーラシアの極東だからね。そら時間かかるよね(笑) 

オリエントにホモ・サピエンスが入ったのは諸説あるが、19万年前くらい。アフリカの隣りだしね。早くて当然だよね(笑)

という訳で、人類史的には日本はオリエントより約15万年遅れのスタートとなる。すごいハンデだなあ…って何のハンデだ(笑)

戯れ言は置いておいて、オリエントの話だ。

 

古代オリエントといえば、メソポタミア文明。紀元前3500年頃に起こった、史上最も古い文明である。

しかし先に書いたように、それよりはるか昔から人々の営みはあったわけで、同展でとりわけ注目すべきものとしては、世界最古の神殿(らしきもの)がアナトリア(トルコ南東部)で見つかっていると。ギョベクリテペといい、前9500年に作られたものだそう。

世界最古の神殿(模型)。よく見ると、中央に2体のT字型の石柱があって何やらミステリアスである。

文明はおろか、農耕や牧畜がまだ行われていない狩猟採集時代にこのような集団生活の象徴ともいえるモニュメントがあったとは!ということで耳目を集めたらしい。

 

で、農耕・牧畜の開始は、それから1500年後の前8000年。今からちょうど1万年前だ。ここに旧石器時代が終わり、磨製石器や土器などの便利ツールを使った、人類の新たなライフスタイルが始まる。すなわち新石器時代の開幕である。

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前5500年頃の彩文土器(トルコ西部)

 

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古代オリエントの乾燥地帯の暮らし。中央奥にあるのはパン焼き窯。建材は主に泥と粘土をこねた日干しレンガ。もちろん水に濡れれば崩れる。そのため水を弾く石灰分を含む泥を塗布してメンテナンスをしていたという。

 

面白いのは、オリエントは上に書いたように乾燥地帯(砂漠など)が多いので、農耕ができないエリアも多い。すなわち定住生活ができないと。つまり農耕・牧畜の発生と同時に、遊牧民も誕生したというのだ。

ベドウィン(アラビア遊牧民)のルーツがここにあるということだが、もう少し拡大解釈すると、後世ユーラシアを席巻する遊牧民たちがこうして生まれてきたのだと想像できる。有史以来の人間の歴史は、農耕民族と遊牧民族の対決でもある。歴史ロマンあふれる話である。

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現在のベドウィンの生活。子羊用の柵囲いもあって微笑ましい。同展はこういうジオラマが充実している。

 

さて、農耕が始まると、人が集まり、富が蓄積され、権力者が生まれる。前3500年、ついに都市国家ウルクがユーフラテス川沿いに誕生する。メソポタミア文明の幕開けである。

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ウルクはシュメール人が作った都市なのだが、これがルーツ不明の謎民族らしい。まあ分からないものは仕方がないとして、このウルクが世界最古の文字、楔形文字の発祥の地であり、人口は10万人に及んだという。またギルガメッシュ叙事詩の主人公、ギルガメッシュは前2700年頃のウルク王だそうである。てっきりご当地の神話だと思っていたが、実在していたとは驚きである。

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前3000年頃、ウルクの隣にあった都市国家ウルのCG(コンピュータグラフィックス)。中央に建つのは月の神ナンナを祀る聖塔(ジッグラト)。

日本が縄文時代でのんびり暮らしていた時に、オリエントではこうした都市国家がいくつもできて、しのぎを削っていたとは空恐ろしい。。

 

周辺をうろうろしていた遊牧民たちも黙ってはいない。

前23世紀、セム語系遊牧民のアッカド人がメソポタミアに侵入、これらの都市国家をまとめ上げ、アッカド王国を建国。これがメソポタミア初の統一王朝である。

その後シュメール人が失地回復するも、前19世紀、再びセム語系遊牧民のアムル人が侵入しバビロン第1王朝(バビロニア王国)を建国する。

 

ちなみにバビロンも古代都市の1つである。

また、「セム語系遊牧民」などと書くと、さも遠くからやって来た異民族のように思えるが、そんなことはない。多少荒っぽくまとめてしまえば、中東に昔から住む民族は、定住民、遊牧民の別なく、みなセム語系である。ご近所同士で争っていると理解してよい。

 

で、このバビロンの6代目の王が、ハンムラビ法典で有名なハンムラビ王である。

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前18世紀にハンムラビ王が建てたハンムラビ法典碑(複製)。

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碑の表面には楔形文字がびっしり刻まれている。どこかに「目には目を」とか書かれているはず(笑)

 

さて、メソポタミアから離れて、アナトリアに目を向けると、前17世紀に世界で最初に鉄器を使用したとされる超強国、ヒッタイト王国が出現する。これによってオリエントは、ヒッタイト、エジプト、バビロンの三国時代の体をなすが、前15世紀のヒッタイトによるメソポタミア遠征でバビロン第1王朝は滅亡する。

 

その後、前12世紀、ヒッタイトは海の民(地中海の正体不明の民族)に滅ぼされ、鉄器の製造技術が拡散。その技術を継承した北メソポタミアのアッシリア人が急成長し、前7世紀頃にはエジプトを征服、初の全オリエント統一王朝であるアッシリア帝国を建国する。

 

以上、古代オリエントが統一されるまでのざっくりとした遍歴である。が、もう一つ無視できない民族について書いておきたい。イスラエル人(ユダヤ人)のことである。オリエント博物館では、なぜかこの民族のことにはあまり触れていない。なので、勝手な想像と解釈を交えて書き留めておく。

 

イスラエル人は前1500年頃にパレスチナ付近で活動していた民族である。前1000年にイスラエル王国(ヘブライ王国)をこの地に建国。2代目ダヴィデ王、3代目ソロモン王の治世が全盛期である。ただ、イスラエル人にとって不幸なのは、周辺にヒッタイト、アッシリア、エジプトなどの強国がひしめき合って、その覇権闘争に翻弄されたということである。やがて王国は滅亡し、イスラエル人はオリエント各地に離散する。

おそらく、こうした不幸な民族は他にもたくさんいたであろう。しかし、イスラエル人、もといユダヤ人が際立って特異なのは、こうした苦難の果てに、旧約聖書に基づく独自の宗教・ユダヤ教を打ち立てたことである。これによって、ユダヤ人は他民族と混交することなく民族としてのアイデンティティを保ち続ける。少し先の話であるが、紀元1世紀にローマ帝国によって聖地エルサレムを追われてからは、オリエントはおろか世界中に散らばることになる。が、ユダヤ人は消滅しない。数千年の時を超えて再び故郷に返り咲き、現代のイスラエル国を建国するのである。そして今も止むことがない、民族生存のための闘争・・・イスラエルVSアラブ諸国という対決構図は、歴史を紐解くと、同じセム語系民族でありながらどうしてこうなった? と思わずにはいられないのである。

 

話をもとに戻す。

前7世紀のオリエント初の統一王朝、アッシリア帝国の出現は、一つのターニングポイントであった。と私は思う。

以後、多少の紆余曲折はあるが、世界帝国と称する超大国が入れ代わり立ち代わりオリエントを統治することになる。

すなわち、前5世紀に起こったペルシャ人の国(アラブ人ではないことに注目)であるアケメネス朝ペルシャ、前3世紀にマケドニアのアレクサンドロス大王が打ち立てた大帝国などがそれである。こうした世界帝国の出現によって、オリエントはいよいよ異邦へと開かれる。西はヨーロッパ、東はインドや中国につながる文化交流の道、シルクロードが誕生するのである。

動物型リュトン(角杯)。紀元1〜2世紀の品。赤ワインを入れたら動物の血のように見えたことであろう、と面白い説明があった。ガラス工芸はオリエントの特産品で、中国などの東アジアの特産品である絹や毛皮などと交換された。

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仏陀の浮彫。2〜4世紀頃。東西の文化が融合して生まれたガンダーラ美術の作品。

 

あと同展には、メソポタミアと並んで古代オリエントを構成する大文明、エジプト文明の展示もあった。

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同展の入口にある古代エジプトの壁画。

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同じく。アヌビス神がミイラを作っている。

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ロゼッタストーン。もう説明不要だな。

 

現在、私の脳内はメソポタミアの情報でパンパンだ。エジプト文明についてはまたいつか機会があれば、きちんと向き合いたい。

※関係ないが、アガサ・クリスティ原作の映画「ナイル殺人事件」(2022年版)のエジプトの映像は素晴らしかった(笑)

トワイライトにたそがれて

2026年7月24日(金)

ウイークエンドの金曜日。まもなく終業という時間に、ものすごい雨と雷の音。

ゲリラ雷雨だなぁと、外の様子が伺えないデスクでぼんやり思いつつ、しばし待つ。音が止んだところで会社を出る。

時刻は18時過ぎ。先ほどの豪雨が嘘のように収まって、見慣れた街は静謐に包まれている。

 

現在、東京で単身赴任中の私は、会社から徒歩20分のところにあるワンルーム暮らしである。当然、家で待つ人もいない。トワイライトな空気にほだされて、気まぐれで帰宅ルートを変えて歩いてみた。

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紀尾井坂(きおいざか)。江戸時代、この坂の両側に紀州藩、尾張藩、井伊家の屋敷があったことから名付けられたそう。つまるところ語呂合わせで付けられたネーミングなのだが、紀州と尾張は藩名なのに、井伊だけ名字というのが、適当で笑える。ちなみに、大久保利通が暗殺された場所でもある。

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紀尾井坂を上る。右手に上智大学、左手にホテルニューオータニがある。

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坂を上りきった所で、ソフィア通りと合流する。ここが旧江戸城の外濠(そとぼり)で、濠の土手に上ることができる石段がある。

ちなみにソフィアとは、ギリシャ語で「至高の知」を意味する。すなわち上智大学の英語名、ソフィアユニバーシティのことである。さらにウンチクすると、上智大学はフランシスコ・ザビエルが、日本の都に大学をつくりたいなあ、と願望したのが起源だそうで、その約400年後の1913年に彼の意志を受け継いだイエズス会によって創建されたとのこと。すごい執念である。

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土手に上ると、外濠に沿って遊歩道になっている。都心とは思えない豊かな緑がある。

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外濠を眺めると、木々の間から水面…ではなく砂地が見える。なぜか? 太平洋戦争の戦災で出た瓦礫の処分場になったからである。埋め立て後、現在は上智大学のグランドになっている。

ちなみにこの辺りの濠は、真田幸村の兄、信之が堀ったので真田堀(濠)と呼ばれる。真田兄弟は一族存続のために東西陣営に分かれ、結果、弟は豊臣に忠義を尽くし命運を共にした。生き残った兄は徳川のために普請しこの濠を掘ったと。因果なことである。

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四谷見附に到着。たそがれてるなあ。。

見慣れた街がいつもと違って見える。これがトワイライト効果というものか。益体もなく物思いにふけりながら帰宅するのもたまには良いものだ。

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帰宅後、ベランダの網戸にカナブンが。何だかたそがれてる? 益体もない(笑)

大カエル展とカジカちゃんの思い出

2026年7月19日(日)

和歌山県立自然博物館の「大カエル展」へ行ってきた。

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同展は、日本産カエルがすべて集められているとのこと。わが家は、家族5人みな両爬虫類が大好きなので、興味深く観覧した。

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2カ月ぶりのポタリング

2026年7月12日(日)

久しぶりに自転車を走らせた。最近は休日も仕事したり、雨だったりで、実に2カ月ぶりだ。

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お台場の近くにドラえもんの大群。

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ユニコーンガンダム。来月末に撤去されるらしいので、これで見納めだろう。

暁ふ頭。手前に浚渫船が浮かんでいる。奥にNippon Expressの貨物船。空には羽田空港に着陸するのであろう、旅客機が低空飛行している。音はしないけれど視覚的に賑やかである。

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釣り人がちらほら。ベンチで読書でもしたかったが、木陰のベンチは先客がいたので諦める。

まもなく東京も梅雨明けだそう。自転車乗りには過酷な季節到来である。電車でもいいので遠出したいなあ。

江の島と品川神社と板垣退助

2026年6月20・21日(土・日)

単身赴任中の東京四谷のワンルーム。上さんと大学生の次男が、大阪から遊びに来た。エスコートしないと。ということで、観光スポットの定番、江の島へ。

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雨の降る中を、宗像三神の社、コッキング苑、稚児ヶ淵、龍神のいる岩屋までを巡る。

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江の島大師というお寺は人が寄り付かない穴場スポット。境内にはアジサイが満開であった。

 

関東一円の観光地の中でも、江の島は本当に一日楽しめる最強のスポットだ。誰かをおもてなしするのにこれ以上の場所はないと思う。家族も満足してくれたようだ。

ただ本ブログでは、以前一人で回った時に十分レポートしたので、ここでは詳しく書かないことにする。

 

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翌21日は夏至なので、恵方参りがしたいと上さん。

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今年の恵方は南らしく、品川神社がちょうど良いということで行く。

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祭神はアメノヒリノメノミコト、ウガノメノミコト(ウカノミタマ)、そしてスサノオ。

アメノヒリノメはあまり馴染みがないが、アメノフトダマの奥さんで、お隣の安房国(千葉県)にゆかりの深い神様である。なおこの夫婦神からアメノウズメが生まれる。まあそれは良いとして・・・祭神の三神のことだ。私が不勉強なだけかもしれないが何とも脈絡がない。。

社の由緒を見ると、アメノヒリノメは平安時代末に源頼朝が、ウガノメは鎌倉時代末に二階堂道蘊(どううん)という御家人が、スサノオは室町時代に太田道灌が祀ったのだそう。時代を経るごとにパッチワークのように神様が増殖しているのが面白い。いや、こうした遍歴自体が、品川神社が各時代の要人に必要とされてきた証左だと解釈すべきだろう。

で、神社の裏手に回ると・・・

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板垣死すとも自由は死せず

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板垣退助の墓がこんな所に!

ちょっと感動した。

敬愛する司馬遼太郎先生の批評はちょっと辛口だが、私は板垣退助がかなり好きである。

土佐藩の上士という特権階級に生まれながら下々の人間と分け隔てなく接し、対して君主の山内容堂には媚びへつらうことなく自己の信念(倒幕)を貫き、戊辰戦争では大変な活躍をしたにも関わらず、おごることなく清貧に徹し、敵であった会津にも温かな眼を向け、維新後に爵位を授かることを断固として断った(最終的に無理やり叙爵させられたが)。明治の政界で精彩を欠いたことは否めないが、その精神は一貫して清廉潔白であった。自身の栄達をまったく欲さなかったという点において、吉田松陰や西郷隆盛や関寛斎などと同類の臭いがして大変好もしいのである。

 

偶然見つけた板垣退助の墓。それを前にして氏の言葉を思い出した。

「人は死んだら終わりだと言う、しかし私はそうは思わない。志ある人々が私の墓を前にして、世の矛盾に怒り、それを糾(ただ)さんと、世のために働いてくれるのなら、私の死は終わりではない」

私に世を正す意志も力もないが、歴史上の偉人と身近につながったような気がして少ししんみりしたのである。

 

横には上さんがいる。境内でまだ回っていない浅間神社とそれに付随するミニ富士山(富士塚)に登る。

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けっこうデカい。都内最大級らしい(笑)

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富士塚のてっぺんはなかなかの絶景だ。目の前の高架を京急電鉄が走っていて面白い。

この後、銀座に向かい、上さんは断捨離セミナーなるものに参加。その間、私は喫茶店にこもり、持参したノートパソコンで仕事。ちなみに次男は、朝から別行動で水族館などを勝手に回っている(動物好き)。

夕方17時、東京駅で集合し、大阪へ帰る2人をお見送りした。楽しい休日であった。

mixiの思い出:『失楽園』ミルトン作

2026年6月4日(木)

昔mixiというソーシャルサイトがあった。ふと思い出してログインしてみた(IDとか忘れていて難儀したが)。

なんと懐かしい。約20年前の日記だ。失楽園の読後録なんか書いとる(笑) 拙い文章で手を入れたくなったが、あえてそのままにして以下に掲載する。

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『失楽園』ミルトン作

2007年06月20日19:33

古典かつ叙事詩。なので、当初非常に読むのがしんどいかなと覚悟していたのだが、意外とおもしろく読めた。翻訳者は偉いものだ。
内容は、最近の小説ではまったく見受けられない(というか、もはやテーマにならない)、とてつもなく壮大な話である。

神がいる。多くの天使がいる。神、御子(後のイエス)を創り、すべての天使は御子に従うように宣う。大天使ルーシファ、嫉妬し、天使の三分の一を率いて反逆。が、あっけなく破れ、地獄に落ちる(ルーシファ、落ちぶれてサタンとなる)。
神、地球(とそれを取り巻く宇宙)を創る。と同時に、神の恵みを受くべき存在・人間(アダム)を創る。さらに(アダムが寂しがるので)イブを創る。
神にはかなわないと知ったサタン、人間を堕落させて間接的に神に復讐しようと、地球に行く。が、天使ガブリエルに追い返される。天使ラファエル、アダムにサタンの潜入を告げ、警戒するよう指示。サタン、再度潜入、蛇に乗り移る。(アダムは手強いので)イブに接近。イブの美しさに圧倒されるも、初志貫徹、うまくそそのかして禁断の知恵の実をイブに食させる。
アダム、イブと運命をともにしようと決意し、(神を捨て)知恵の実を食す。これによって人類は子々孫々まで「原罪」を背負い、不浄の生涯を送ることを宿命づけられる。
痛快のサタン。しかし、神によって本当の蛇に姿を変えられる。さらに遠い未来、人間の身を借りて誕生する御子(=イエス)によって、頭をカチ割られるという予言を受ける。
打ちひしがれるアダムとイブ。そこに、天使ミカエル降臨。二人にエデン(楽園)からの追放を命ずる。が、それに先立ち、人類の行く末をアダムに伝える。ノアの洪水、バベルの塔…数々の悪行を繰り広げ、報いを受ける子孫たち。嘆くアダム。しかしその先、ついに御子が救主(イエス)として人の世に誕生、原罪を一身に背負われる。禁断の実を食してもなお、人類を見捨てない神の愛を確信するアダム。イブとともに希望を胸にエデンを去る。
   ◇   ◇   ◇
著者ミルトンが生きていたのは17世紀のイギリス、清教徒革命や王政復古などの政変が繰り広げられた激動の時代。キリスト教の精神を建前に、他人を蹴落としてのさばっていく、権力欲に取り付かれた人間たち。これを見てミルトンは「なぜ人間はこんなに醜い存在として、生まれて来たのだろう」と(たぶん)思ったに違いない。
ここで「原罪」というものにスポットが当たる。『失楽園』はどのようにして我々が原罪を背負うようになったのかを物語っている。と同時に、神を敬わず喰いものにしている、当時の聖職者たちを(サタンの僕として)痛烈に批判している。
この作品を当時の人々がどう受け止めたのかはわからない。しかし、現代人である自分はいやでもサタンに注目してしまう。はっきり言って、登場人物の中でもサタンが図抜けていい味を出している。嫉妬、怒り、羨望、虚栄…絶対不可侵の神の前でのたうち回る姿は、アダム以上に「人間」的である。「知恵の実を食って、何が悪い!」というようなサタンの主張は、かなり共感ものである。対して神は…とても不遜で、偉そうで、ワンマンで、絶対である(当然か)。はっきり言って虫が好かない。
やおよろずの神々の国で生まれ育った人間には、理解しがたい領分である。そういう意味では、この本から「おもしろい」以外の何かをつかめたかというと、ちょっと自信がない。