tatsumitatsu

ロードバイクとキャンプ中心のブログです。

紀州街道をゆく(堺市内)

2021年11月28日

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紀州街道は大阪と和歌山を結ぶ、海沿いに南北に走る道だ。江戸時代は紀州藩の参勤交代などに使われていた道だという。本日は堺市内に絞って、この街道をロードバイクで走る。

 

起点は堺市の北部、綾之町交差点。阪堺電気軌道、いわゆるチンチン電車綾ノ町停留場がある。タイミング良く2両のチンチン電車が目の前で交差する。

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アポロビルと黄金糖のラッピング広告…濃ゆい。あめちゃんを手提げに忍ばせた大阪のおばちゃんの姿が不意に脳裏にかすめる。まあいい。

 

またこの交差点には、驚くべきモノが設置されている。

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昆虫食自販機。テレビでも取り上げられたことがあるらしい。メニューは…

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うわ…。ドン引きするも、こうも手軽に買える昆虫食…タランチュラって美味いのか? 死ぬまでにやりたいことリストに一応入れておく。

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綾之町交差点から南に伸びる、路面電車沿いの道。大道筋と呼ばれるが、片側3車線もあるのに交通量は少ない。無駄に広い道はロードバイクで爽快に走れる。

この道がすなわち紀州街道であり、戦国時代の頃、堺が世界屈指の自治都市として栄えたエリアである。

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宿院の交差点の手前にある与謝野晶子生家跡の碑。その横に歌碑もある。

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海こひし潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家

あまりに甘く切なすぎて、男の私には共感しづらいが、女性が抑圧されていた時代に、心の内を自由に吐露したのはスゴイことだ。行動力も凄まじい。堺を代表する情熱の歌人だ。

 

そして茶聖、千利休の屋敷跡がすぐ近くにある。

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大阪人にとって太閤さんは、欠点も多いが愛すべき点もたくさんあって、それはもう特別な存在だが、千利休と相対させるともう木っ端微塵の俗物に成り果ててしまう。自分にも相手にも厳しい賢人が、茶の湯というコミュニケーション文化を確立させたのが、私には理解しがたく、不思議な人物である。

千利休屋敷跡には、ボランティアらしきガイドさんがいて、親切に相手をしてくださった。

ボッチでライドする私にとって、道中人に話しかけられることは滅多にない。結論を先に書いてしまうが、この紀州街道ライドは、行く先々で人に話しかけられた。皆さん人情味たっぷりで、ああ大阪だなぁと。(私も地元民なのだが、性根がいつでもどこでも異邦人なのでこんな感慨を持つのである)

 

開口神社(あぐちじんじゃ)も近い。参る。

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七五三で賑わっている。私は異邦人だ。

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祭神は塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)など。あまり聞かない。海上交通の神、安産の神だそうだ。

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なので狛犬も子持ち!

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なんと泉陽高校発祥の地らしい。堺市民には憧れの高校(かな)。与謝野晶子もここの出身だ。なので、やっぱり歌碑がある。

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少女たち開口の神の樟の木の若枝さすごとのびて行けかし

乙女らしい透き通った歌。おじさんにはちと眩しい。

 

同神社は堺山之口商店街にも面している。
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堺市で最も古い商店街。ほとんどシャッターが降りて寂しい限りなのだが、そこはかとなく品がある。美しいシャッター商店街ランキングというのがあれば(絶対ないだろうが)上位ランクインするだろう。

 

大道筋紀州街道)と大小路(西高野街道)が交差するこの一帯。黄金時代の堺の中心部。本気で散策すると日が暮れる。ということで離脱し、紀州街道を南進する。

 

御陵前交差点に至り、いよいよ路面電車とお別れ。大道筋もここで終わる。紀州街道は古い住宅街を走る細い道となる。

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すぐにとある神社の裏手に差し掛かる。何かお寺の山門風だが…

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境内をのぞくと猫の楽園である。邪魔しては悪いのでぐるっと外縁をまわり、正面の鳥居へ。

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船待神社。祭神は天穂日命とその子孫の菅原道真菅原道真太宰府に向かう船を待つ間に、この社に詣ったのが名称の由来だそうだ。良い名付けだ。ほっこりする。

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本殿の手前頭上には、参拝者が雨に濡れないようにだろうか、トタン屋根がしつらえてある。美的感覚なにそれな地元の方々の差配が、逆に美しいと感じるのは私だけだろうか。いとおかしである。

 

紀州街道に戻り、さらに南下。石津川の手前で…

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先週来たばかりの石津太神社(いわつたじんじゃ)だ。初めての道だと自分では思っていても、実は知らずに走っているもので、こうして既知のスポットと遭遇する。面白いものだ。

参考:石津神社と石津太神社ライド

 

さらに南下。石津川にかかる太陽橋を渡り、その南詰めに、北畠顕家戦死の地なる供養塔が建っている。

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地元の方々が敷地内の清掃をされていて、私がボーッと突っ立っていると声をかけてくださった。そして北畠顕家なる武将について丁寧に解説してくださった。北畠顕家南朝の忠臣で、この石津の地で北朝方の高師直軍と激突し、壮絶な討ち死にをしたという。

しかし、残念なことに私は北畠顕家を知らなかった。昔、NHK大河ドラマ太平記をたまに見ていたが、足利尊氏役の真田広之高師直役の柄本明が際立っていて、その他の登場人物は記憶に残らなかった。

当の北畠顕家役はなんと後藤久美子が務めていたそうだ。顕家公がこの地に散ったのは21歳。なんとも短い生涯だが、それまでの活躍ぶりは凄まじく、若く美しい出で立ちから「花将軍」と称えられ、一時は足利尊氏を破って九州まで追い込んだそうだ。

 

地元の方からは、手作りと思われるパンフレットをいただいた。

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顕家公を忍び、さらには石津一帯の歴史資産に触れた読み応えのある内容である。判官贔屓といえばそれまでだが、楠木正成源義経を愛する篤志家の方々に負けない、顕家公への思い入れが伝わってくる。実直な郷土愛とはこういうものかと、頭が下がる思いであった。

 

供養塔を辞し、街道をさらに南へ。
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南海本線諏訪ノ森駅旧駅舎。大正時代の建築で、国の登録有形文化財となっている。現在は駅舎としての役目を終え、地域のコミュニティの場となっている。

 

さらに南に下ると、紀州街道府道204号、いわゆる旧国道26号に合流する。

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道路の西側はおなじみの浜寺公園。ここで再び路面電車と並走し、終点の浜寺駅前停留場に至る。

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浜寺駅前停留場。停車中のチンチン電車のラッピングはまたもや黄金糖だ(笑)

 

同停留場から少し東に入ると、南海本線浜寺公園駅旧駅舎がある。

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明治40年建設。諏訪ノ森駅旧駅舎と同じく国の登録有形文化財。現役引退しているが、私鉄最古の木造駅舎だそうだ。

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近づいて眺めていると、写真撮りましょうか、と地元の方から声をかけられた。

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記念なので載せておく。

この駅舎は東京駅を手掛けた建築家と一緒なんですよ、と気さくに解説してくださった。調べると辰野金吾という建築家だ。うん、聞いたことがある。中之島の中央公会堂の人だ。

 

紀州街道はこのまま南下すると、堺市を抜けて高石市に入る。切りが良いのでここまでとする。距離にして7kmくらい。堺市の歴史絵巻を紐解くような味わいがあった。

そして、図らずも各所で人と交わった。それぞれほんの束の間の出会いであったが、ロードバイクで走り回る人間なんて、地元の人からすればまさに異邦人であろう。そんな得体のしれない闖入者に話しかけてくれるというのは、身に余ることで、ありがたいことである。人情味に心を打たれ、実にほっこりとするライドであった。