2024年10月27日(日)
こないだの結婚記念日(10/6)に、上さんと和歌山県の加太に鯛を食べに行った(プチ贅沢)。ついでに、すぐ隣の雑賀崎という港町が日本のアマルフィ(笑)と呼ばれているそうで、足を伸ばしてみた。
雑賀崎。逆光なのが残念
雑賀崎漁港では、地元の漁師が釣れたばかりの魚を船から降ろしてその場で売るという、なかなか豪快な光景に出くわして(めちゃ安い。太刀魚3匹400円とか!)楽しかったのだが、それは今回の話の本筋ではない。アマルフィのような景色も問題ではない。「雑賀(さいか)」という、日本史においてほんのり重要な土地を初訪問したことが、私の密やかな喜びであった。
戦国時代、根来衆とならび、鉄砲の名手を揃えた傭兵集団として名を馳せた雑賀衆。いったい彼らは何者だったのか?そんなことが気になって(もっぱら司馬遼太郎の書物からだが)知識を蓄えていくうちに、私の生まれ故郷である泉州(大阪の南部エリア、和泉国のこと)がどのような土地なのかを知ることになった(地理的には、根来・雑賀・泉州は隣接しあってトライアングルを形成しているといっていい)。きっと時間とともに忘れ去っていく知識(笑)なので書き留めておく。
そもそも泉州には、歴史上パッとした武将がいない。甲斐の武田、尾張の織田、仙台の伊達といったふうに、その土地に有名な戦国武将がいるとわかりやすいのだが、泉州にはいない。大阪には豊臣秀吉がいると言われるかもしれないが、あくまで大阪市内限定で、泉州は少し違う。全国的に知名度があるのはぶっちゃけ千利休くらい。だが、これも南蛮貿易で潤った自治都市・堺限定で、泉州全域の歴史や風土を考える際の影響力はない。江戸時代には泉州の中心地、岸和田藩を岡部氏が治めていたが、徳川の家来なので正直だれ?という感じである。
戦国より少し遡って室町時代の終わり頃を眺めると、室町幕府の管領(足利幕下の最高役職)である畠山氏や細川氏らが泉州を治め、というかめっちゃ戦争しまくっている。しかし武田信玄のように地元愛がある訳でもなく、織田信長のように天下一統を目指すのでもない。単なる勢力争いである。ノンポリな輩がのさばっても、そこに文化など生まれない。
いったい泉州とは何なのか?どこにルーツを求めれば良いのだろうか?
そこで登場するのが、戦国時代の根来衆、雑賀衆である。それと石山本願寺。
宗派などの違いはあるが、これらの集団に共通するのは、農民が主役ということである。戦国時代の泉州は、前述の室町の残りカスのような守護大名たちを追い払い、農民たちの自治的な共同体が存在していたそうである。その求心力となったのは、石山本願寺を核とする一向宗であり、泉州に今も残る貝塚市内の寺内町などは、当時の農民たちの自治共同体の名残だそうである。
さて、話の順番が前後してしまったが、根来衆と雑賀衆の話である。特に根来衆は、種子島に火縄銃が伝来されるや、いち早くその情報と重要性を把握し、2丁あった火縄銃の1丁を持ち帰り、なおかつ自分たちで製造を可能にしてしまった。根来衆がなぜ日本の最果てともいえる種子島の火縄銃を知り得たのか?詳細ははっきりしていないが、恐るべき情報網というほかない。これがお隣の雑賀衆に広まり、また自治都市・堺にも伝わって鉄砲の一大生産地となる。さらに、石山本願寺、また織田信長にも広まって、この戦国時代最強の二大軍事力による武士と農民の戦いが10年続くのたが、泉州の話ではないので置いておく。
高須神社(堺市)。堺の鉄砲鍛冶、芝辻理右衛門が建てた神社。その祖父、芝辻清右衛門が根来で国内初の鉄砲製造に成功し、堺にその技術をもたらしたという
岸和田城。根来衆、雑賀衆が攻め寄せたこともあったが、無数の蛸(たこ)が押し寄せて撃退したという蛸地蔵伝説がある。紀州勢が悪役になっていて悲しい
泉州では、前述の通り一向宗を核とした農民による自治が行われ、お隣の根来や雑賀もそれぞれの共同体ができていた(注:農民とは自衛できる武力集団でもある。当時は兵農分離していない)。そこに天下統一という、これまでの日本には存在しなかったイデオロギーを掲げて織田軍、後に豊臣軍が攻めてくる。今さら、戦国大名に食い扶持を取り上げられては敵わん、と抵抗するのは当然であり、根来衆、雑賀衆(の一部)、そして泉州の農民たちは共同戦線を張ったが、信長も秀吉も本当に容赦なく、一帯は徹底的に焼け野原にされたわけである。なので、泉州の有名な寺はだいたいこの時期に焼けている(笑)
いや笑い事ではない。私は、このことがたいへん誇らしい。。
水間寺(貝塚市)。根来衆に加担したので秀吉に焼かれた。江戸時代に岸和田藩主の岡部氏が再興
久米田寺(岸和田市)。石山合戦の余波で信長に焼かれたらしい。後に再興
さて、泉州とは何なのか?
それは戦国大名がいないまち。農民たちが共和制を夢見たまち。もし織豊の天下統一を阻んでいたら、日本にいち早く共和政体を実現したかもしれないまち。決して、だんじりだけのまちではない(笑)
以上、実は紀州勢や一向宗をかなり美化して書いてしまっているが、確信犯であることを断っておく(笑) まあ判官贔屓の一種としてやり過ごしてくださいな。ということで、今時の泉州人にもほとんど知られていないであろう、我流の歴史的アプローチで郷土愛を温めてみた。(おわり)
※ここに挙げた雑賀崎以外の写真は、数年前に、堺市からロードバイクでポタリングした時に撮影したものである。昔は健脚だったなあ。。