tatsumitatsu

ロードバイクとキャンプ中心のブログです。

靖国神社で祖父を想う

2024年10月26日(土)

仕事が忙しい。流行りの中間管理職のしんどさ、すなわち組織を管理しながら現場の仕事もモーレツにこなすと、時間がまったく足りない。齢50を過ぎて、深夜残業する気力もなく、気づけば休日に一人会社のデスクでパソコンをパチパチたたいている。

13時頃に仕事が終わる。休日出勤だけはロードバイクで通っている(普段は徒歩)ので、どこか寄り道しようかなと。

靖国神社遊就館は行ったことがない。太平洋戦争以外にも、西南戦争日露戦争などの展示もあるそうだし、ちょいと見てみたい。ということで行ってみる。

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10分で着く。

が、常設展は年内休館だと(泣)

仕方ないのでお参りしようと思ったが、拝殿は長蛇の列で気分がなえる。私はこの手の順番待ちやら事細かい形式などが大嫌いで、二礼二拍手一礼などもしない、お賽銭も並ばないとできないのならしない。列を無視して、拝殿奥を横から覗き込み黙祷する。後ろの人に気兼ねする必要もないから、自分だけの世界に没頭する。

私の祖父は戦没者なので、祖父のことを考える。私は戦後の生まれなので面識はない。実家の仏間に遺影が飾られていたのを記憶しているだけだ。今の私より若い。ハンサムである。

地元では、町内で一番早く車に乗った人だとか(笑)、ウチ以外にも、よそのお宅に2軒ほど子種を分けてあげていた(笑)そうで、相当の遊び人だったようだ。

徴兵が決まると、やけになって散財しまくってから戦地におもむいたそうだ。寡婦となって苦労した祖母の恨みのこもった話なので、どこまで本当の話なのかは謎。

祖父は海軍に配属されていたそうである。私が小さい頃、祖母から「おじいちゃんは大和に乗っていたんやで」などと聞かされ、大和といえば宇宙戦艦ヤマトしか知らないガキの私は、昔は宇宙に行ける技術が存在していたのか?ととても不思議に思った記憶がある。その後、宇宙戦艦でもなく、本物の大和でもなく、何かよくわからん船で東シナ海のどこかに沈んだ、という真相を聞いて、まあそうだろうなあと。それが私の祖父にまつわる全記憶である。

靖国神社の前でさらに祖父に対するイメージを膨らませてみる。

それにしても、調子よく日々を生きていた矢先、赤紙を受けた時の気持ちはどのようなものだったであろう。どれだけ表面上は愛国者ぶっても、おいおいマジかよ!と思ったに違いない。徴兵されて、偉いさんにどやされて、こないだまで冗談言いあっていた同じ郷土仲間と慰めあいながら臭い飯を食って、狭い鉄の船に詰め込まれて、東シナ海の真ん中で、大きな衝撃が起こったと思ったたら、船が傾き出し、足から腰、そして胸、と徐々に海水に浸されて、最後にすがるものもなく魚の餌に。家族とも会えす、骨も帰らず、人生fin。今の私よりもずっと若い年齢で…

フィクションだが、これくらいの想像は許されるであろう。およそ1、2分、頭によぎったことだが、参拝の列に並んでいたらできないことだ。心の整理?がついたところで、神社をあとにする。

いまなお征服欲の旺盛な大国が日本の近くにあって、まあそれは悲しむべきことだが置いておいて、問題はそれをダシにして愛国心を吹聴する輩が政界からSNSに至るまでよく耳にすることだ。愛国心というのは本来、一人一人が心の内で温め保っておくだけで良いのであって、人の口をついて出た時点で、それは何か別のいやらしい代物に変わる。人気取りのプロパガンダに使ってる奴と、それのシンパらほど胸糞悪いものはない。

ほんの一昔前、日本はファシズムだったことを記憶してる人はどれくらいいるだろう。日本人というのは元来ポリシーがないが故に、けっこうチョロい民族である、と思う。日本を守るためという口実で、また同じことが繰り返されれば、犠牲になるのは、、、私は徴兵からは外れるだろうが、お前らはめっちゃ適齢期やな(笑)と子どもたちには冗談めかして話したりする。

こんな私が靖国神社参拝するのもおかしな話だが(笑)