2024年9月22日(日)
ブログを書くのは久しぶりである。履歴をみると4月に東京国立博物館に行った記事を最後に途絶えている。5ヶ月のブランクだ。
このブログは日記のつもりで書き始めたが、5ヶ月も空くともはや日記ではない。まあこれまでも毎日記していたわけではないから知ったような口はきけないが。
本日は休日出勤したが、昼過ぎに仕事が終わり、飯屋を探すついでに適当に付近をぶらついた。
飯田橋駅近くで偶然、繁昌している神社を見つけ、ちょっと覗くと「東京大神宮」と書いてある。すごいネーミングである。
「東京のお伊勢さま」という愛称がついていて、明治13年に伊勢神宮の遥拝殿として創られたと(創建当時は日比谷にあって、関東大震災後にここに移ってきた)。また、日本で初めて神前結婚式を行った神社でもあると。うまい商売を開発したものだなあと笑ってしまったが、まあ何でも一番にやるのは偉いことだ。
あと、ここは東京五社の一つらしい。残り4つは、日枝神社、明治神宮、靖国神社、大國魂神社。大國魂神社だけ行ってないがまあいい。それにしても、この五社のうち三社は明治以降の創建だ。由緒がないとケチをつけるつもりはない。逆に個性があって良い。それでこそ明治以降の近代国家の首都たる東京だと思う。
あと久しぶりのブログなので、昨日行った武者小路実篤記念館のことも記録しておく。新宿から自転車で小一時間、仙川にある。
武者小路実篤の作品は若い頃に好んで読んだ。小難しい名前によらず、読みやすい作品、そこに貫かれた清涼な思想、新しい村などの試みは、まだまだ尻の青い若者だった私(今もだが)の心に染み通った。記念館の入場料は200円。展示は、氏による直筆原稿と絵画だ。それほど興味深いものでもなかったが、直筆原稿の字の下手くそさにはホッコリさせられた。名前も荘厳で、思想も崇高で、それで字まで上手かったらやり切れない。どこかツッコミどころがあってこそ、ああ人間だなあと感じる。確か昔見た夏目漱石の原稿用紙には、抜いたヒゲが植わっていた。これと同じである。もちろん、なんの取り柄もない私も両人と同じクセを持ち合わせているが、これは救いようがない(泣)
記念館と同じ場所にある実篤公園。綺麗だが立ち止まると、蚊の猛攻を受ける。
最後に、これだけブログのブランクが空いた理由、というか言い訳を書いておく。
実は今年の5〜6月にかけて肺炎になった。最も症状がひどい時は、呼吸するだけで肺が痛む、すなわち人間は呼吸をしないでは生きていけないから間断のない痛みにさらされた。肺炎というのは検査の結果わかった訳で、検査前は肺ガンかもしれないと医者に散々脅されたし、私自身も最悪の場合を覚悟した。いくらレントゲンやMRIで検査したって、当たり前だが病名は特定できない。肺の細胞を切り取って調べないとわからない、ということで、気管支鏡なるものを口から肺まで突っ込まれた。この検査のために、(たぶん)幼稚園時代以来の入院をした。そして、細菌性の肺炎であることがわかり、飲み薬(抗生物質)だけで完治したのが、えっと7月だったか。検査後、病院(東京女子医科大学病院)から10日ほど入院して点滴で薬を直接体内にぶち込む処方を提案されたが、基本的に薬は大嫌いだし、仕事もあるし、ということで丁重に断って、飲み薬だけで治した。
費用は20万以上かかった。たぶん高額療養費制度や保険などで半分は戻ってくると思うが。
そして、何やかんやで現在に至る。
ここ数年、司馬遼太郎の本ばかり読んでいるが、闘病中もずっと読んでいた。この作家の作品は(他の作家もそうなんだろうけど)不必要な文章というものがほとんどない。流石プロだ。そう感じてしまうと、私のブログの何とお粗末なことか。ブログが疎かになったのは、病気よりも実はこっちの方が原因だと思う。