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ロードバイクとキャンプ中心のブログです。

渓流園地で自転車キャンプ②

2021年12月12日(日)

前日、大阪府貝塚市の渓流園地でソロキャン。そして本日10時撤収。

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さて自転車キャンプの良いところ。キャンプ場を出れば、普段とは異なる見知らぬ地からポタリングが始まるのである。なんと素晴らしい! 非日常は終わらないのだ。

 

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※参考:前日のキャンプレポートはこちら

 

行きは、キャンプ場に早く着きたい一心で、府道40号を脇目もふらず駆け上がってきた。帰りはこの道を下りながら、良さげなスポットがあれば寄り道する。

 

キャンプ場から5kmほど下ると、道沿いに古いながらも存在感のある神社が。

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道陸神社(どうろくじんしゃ)。道陸神というと道祖神のようなものであろう。足の神様として、アスリートや登山者、ハイカーなどに知られているようだ。

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人気のなさが良い。

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拝殿はピシャリと閉じられていたが、開けたら閉めて、との張り紙が。あ、入れるんだ。引き戸を開けて入る。

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暗がりに浮かぶ霊妙な御神灯と、無造作に並べられたパイプ椅子のギャップが良い。地元の方々は、肩肘張らない神様とのお付き合いをされているようで、思わず頭を垂れる

 

しかし、この神社の由来は少々特殊である。貝塚市のHPには、この近くにあった蛇谷城で祀られていた神様がルーツだと。蛇谷城の兵士が、湧き出る清水によって足の傷を癒したことから信仰が生まれ、廃城後に地元の人々が現在の場所へ移したと。

蛇谷城…何とも不穏な名称だ。戦国時代の城郭の一つで、マップで調べると確かに蛇谷城跡が近くにある。時の城主は近村の農民軍の大将として岸和田城の軍勢とたびたび合戦したと。岸和田城主の十河一存(鬼そごう!)の軍勢を農民200人を率いて撃退したと。

きらびやかとは言い難い。戦慄する話だ。周囲に目を転じると、確かに岸和田城は目と鼻の先。転じて和泉山脈の向こうは、和歌山県根来衆のテリトリーだ。そして、紀の川の河口には雑賀衆がひしめく。戦国時代の和泉国は戦乱の絶えない土地であったことが改めて思い起こされる。

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蛇谷城の兵士、すなわち地元の農民たちが命を預けた神様。それは城が無くなろうが、時の権力者が変わっていこうが、村がある限り受け継がれていくものだろう。そして道陸神、どうろくさんとして今に親しまれている。提灯とパイプ椅子で。

記紀の厚化粧な神様とは異なる、土着の八百万の神はたまにこうしたホッコリした感慨をもたらしてくれる。

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さてロードに戻ろう。府道40号をさらに3kmほど下る。水間寺のお出ましだ。

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入口。三重塔が見える。

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愛染堂。水間寺で一番ホットな場所。お夏と清十郎の大恋愛伝説ゆかりの地だそうで、恋愛成就のパワースポットになっている。赤いノボリに「恋人の聖地🖤🖤🖤」と書かれている。なぜか恥ずかしい。

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明治時代以前に建てられた三重塔としては、大阪府内では唯一だそう。これは意外なことである。京都や奈良だとごろごろありそうだ。大阪は、昭和時代まで戦乱が絶えなかった証拠か(知らんけど)。

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本堂。凄まじくデカい。大阪では屈指の大伽藍である。先の三重塔と合わせ見応えは十分で、これだけで来たかいがあったというものである。宗教としての仏教になんの未練もないが、これほどの建築物を作ってしまう人間の技にはただただ感服する。

水間寺の面白いエピソードとしては、井原西鶴の日本永代蔵のネタになっていることである。同作品は日本初の経済小説などといわれているが、要は金色夜叉たちの喜怒哀楽の物語集である。そんな卑俗なマネーストーリーに水間寺が一枚噛んでいると。

先の愛染堂のお夏清十郎伝説も純愛ストーリーとはいえ、愛欲に絡んだネタである。とくに水間寺だけの話ではないし、お寺だけでなく神社も同じようなものだが、こうした人間の欲望に乗っかって商売しつつ、神仏の崇高な思想や教義と共存している。この矛盾に自己崩壊しないように、都合よく分裂して、平然としていられるところが宗教恐るべしである。

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カッコいい馬の像。江戸時代の岸和田藩主、岡部家の家紋である左三つ巴紋が輝いている。水間寺は戦国期、根来衆についたため、羽柴秀吉に焼かれた。これを再興したのが岡部氏である。戦国期に織田信長豊臣秀吉が焼く。これを江戸時代に再興する。お約束のパターンである。

 

さすが境内は人が多い。そこにキャンプ道具満載の自転車でウロウロしていると場違い感が半端ない。早めに退散する。

 

さて、このあとどうしよう。あまり海沿いまで出てしまうと、いつもの幹線道路を走るだけだ。面白くない。

という訳で、ざっくり北に方角を決め、田んぼや住宅地の中を適当に走る。

感覚的に貝塚市を出て、岸和田市に入ったとわかる。実は私は岸和田の生まれだ。土地勘はある…はずだが、分からない。かなり広域の土地が開発されて新興住宅地になっているのだ。迷ったあげく、ちょっとした坂道をえいやと駆け上がると視界が開けた。

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久米田池やんけ!(岸和田弁)

大阪府下、最大のため池。子どもの頃よく遊んだ場所だ。なぜ直前まで分からなかった? と思うのも無理はないくらい周囲が変わっているのだ。池の周辺も綺麗に整備されて公園になっている。ベンチまである。

座って休憩する。キャンプの食料の残り、バナナとポテチを頬張る。隣のベンチに若者が一人やって来て、荷物を置くと、目の前でスケボーの練習を始めた。街が様変わりしてしまったことと合わせ、ジェネレーションギャップを感じるが悪くはない。

小一時間ほどもそこで腰掛けていただろうか。キャンプ場を出て、やっと人心地ついた。実家に寄ろうかと思ったが、どうせ年が明ければ挨拶に行く。

今日はまっすぐ帰ろう。

さんざ寄り道しておきながら、そんな風に思う自分が可笑しい。自宅まではあと20kmくらいか。今年最後のソロキャンはこうして幕を閉じた。