もう書いてしまおう。
東京へ単身赴任が決まった。4月からなので1カ月を切った。
齢49才、5人家族。上さんと、子どもは男3人。大学、高校、小学生。
生まれてこの方、住居は二度変わったが、大阪の泉州から出たことはない。これからも出ることはないと思っていた。
異動の話が出た時、断るという選択肢もあったかもしれない。しかし、生来の考え方というか価値観が首をもたげ…受諾した。
秋吉台にて家族5人(2021年12月31日)
単身赴任となると、考えるのは残される家族のことである。しかし、家族とはそもそもどういうものであろう。家族は片時も離れることなくいつまでも全員が揃っている状態が理想なのだろうか? 未成年の子どもには常に親がそばにいることが必要なのだろうか? さまざまなメディアが流す情報によると、どうも大切らしい。しかし私の考えはNOである。
子どもにとって親は必要な存在だ、というのは、親のうぬぼれであって、子どもは食う寝るところがあれば、それで十分であると私は考えている。その後の子どもの人生は子ども自身の責任であって、どうなろうと知ったこっちゃない、と思っている。というか、知ったところで何ができるというのだ?
先に書いた、食う寝るところの確保。これのために必死に生きている。それを極力ストレスなく、楽しくやっていくのが私の人生である。子どもにはその姿だけを見せれば十分である。
そもそも親が大過ない人生を送ることが、子どもにとってプラスになるのか? ならないと思っている。
齢49才にして、単身東京に飛ばされる父。人生何が起こるかわからない、ということを子どもは私を見て思うであろう。
世間の模範的な父親像と比べると、私の考え方は大分冷たい。
ディズニーの映画などでよく見る、子どもと同じ目線で親しく接するなど考えられない。イクメンなどバカバカしくて演じる気にもならない。もちろん、勉強で分からない所は教えてやるし、飯だって作る。しかしそれだけである。平日は仕事で夜が遅く、土日になるとロードバイクで家を飛び出し、ソロキャンして家を空ける。
子どもにとって私は「理解不能な恐るべき同居人」と映っていることであろう。それでいい。私だって、子どものことは分からない。他人を理解するというのは、そういうことである。理解できないということを理解することである。
私が子どもの頃、私の父親とまともなコミュニケーションをとった覚えがない。毎日、顔を合わせる。飯も食う。同じテレビも見る。しかし没交渉であった。食う寝るところだけがあって、それを当たり前のように享受して、やがて社会人となり、結婚し、親の人生など歯牙にもかけず家を出ていったのである。
現在の両親とは盆正月などで会うくらいだが、昔よりよく喋る。それは、私も年を取り、子の親となり、生きていくことの苦労を知り、それでいて青臭いプライドがなくなり、利害の生じない安心できる身内となったからであろう。もちろん互いのどちらかに不測の事態が起こった時、この良好な関係が壊れることもあり得る。が、幸運にもそれはまだ起こっていない。
長く関係性の薄い両親であるが、尊敬できることがある。私の記憶では、世間に対する嫉妬や愚痴に類する発言が本当になかった。これは、今だから分かる。美しい生き方である。本人たちからすれば自然体なので、別に尊敬されることでもないと思うだろうが、他人の評価とはそういうものだ。まあ単に寡黙で大人しいだけともいえるが、私には肯定的に受け止められるのである。
この影響をもろに受けて、子どもに干渉しない、感情表現が少ない、何を考えているのかよく分からない父親としての私がいる。
さて、今回の東京転勤の話である。父親が急にいなくなる。子どもたちは理解不能であろう。人生、何事もなく平穏に終わることなどない。口で言っても分かるはずがないから、家族全員で体験してみよう。
一方で私自身は、この転機を大いに楽しもうと考えている。一身に降りかかる環境の変化を悲観的に捉えるのは愚かなことだ。
本当に楽しいのかは分からない。仕事では、東京の業績を立て直せと指令を受けた。前任から引き継ぐクライエントはほとんどなく、例えれば戦後の焼け野原のような状況か。そこに、新宿ってどこ?というくらい何も分かっていない、自転車とキャンプのことしか頭にない私が乗り込むのである。
肩書は東京事業部長。ハリボテのお城の大将である。まったく面白い。せいぜいやりたいようにさせてもらおう。