先日うっかりスマホを床に落とした。うんともすんとも言わなくなった。
1年2ヶ月で役目を終えたGalaxy A7 。キャリアのサポートには入っていない。
運良く知人から新品のシムフリースマホ、市場では2万円以上する機種を3千円でゆずってもらえた。ありがたかった。
そして3日後、硬いコンクリートの上にこれを落としてしまった。ガラス全面にものすごいヒビが。物事には動じないたちだが、これには参った。
ああ、譲ってくれた知人に申し訳がない。自分の不注意に呆れる。
幸い?機能は損なわれていない。しかし字が読みにくい。というか、そんなレベルを超えている。
○○ペイといったオンライン決済のバーコードは、お店で試したが読み込めなかった。まあいい(投げやり)。
画面修理は、修理ショップに聞くと3万円以上するらしい。新品より高い(笑)
しばらく我慢して使うことにする。
ところで、知人からスマホを譲り受ける前に、4日ほどスマホのない生活を送った。
はっきり言って何の不自由もない。オンラインショッピングなどどうしてもインターネットを使わないとできないことは、自宅のPCを開けばよい。余暇の時間は読書がはかどり、有意義な日々であった。
つまるところ、スマホはもったいない時間つぶしツールである。限りある貴重な時間をこいつに食い潰されてるんだなあと感じた。
情報のエントロピーという概念がある。エントロピーとは、元は熱力学の概念で、熱は高い方から低い方へ移り、やがて平準化する、その逆はないという法則だ。
これを情報というものに当てはめてみると、さまざまな価値観やイデオロギーはやがて混ざり合い混沌となり、何が正しくて何が間違っているのか、境界が曖昧になる。あらゆるものが許容され、また批判され、人々は頼るよすがを、思考の拠り所を見失う。言い換えれば、各人が自分のお気に召す情報だけをつまんで、それが私の生きる道、誰にも文句言わせない個性とみなして、世は百花繚乱、魑魅魍魎な体をなすと。
スマホはこれを加速する、エントロピーを増大させるツールだといえる。
もう後戻りはできない。それがエントロピーの法則だからである。
私がさらにヨボヨボの年寄りになる頃には、さらにものすごいことになっているだろう。スマホのOSにアンドロイドとはよく名付けたものだ。スマホの先は、リアルアンドロイドか。人間は知的欲求が満たされれば、人付き合いはなくても割と幸福でいられるものである。異論はあるだろうが、私がそう感じるたちなので、同類の人間は一定数いるであろう。
情報はバーチャルな世界からますます容易に得られ、反対にリアルなコミュニケーションは希薄になり、それでも人は充足して生きていくのだ。
もしかすると結婚願望というものは、私くらいの世代(昭和世代かな)が最後なのではないか、と思うことがある。自分の子どもが、オレ結婚したくないから、などと発言しても、残念に思うが、不思議とは思わないような気もするのである。
SF作家のアシモフは、ファウンデーションシリーズのどれかの作品で、究極の世界を描いてみせた。すなわち、惑星1つに1人の人間というプライバシーを徹底した潔癖な生き方である。その世界の幸福とは、人は生まれてから死ぬまで一切他人と出会わないことなのである。作品では、主人公がその世界に乗り込んで一騒動あるから面白いのだが。。