2021年5月9日
本日もとくに目的なく出発。午前8時。
いや、どこか目的地を決めないと、ということで、羽曳野市のグレープヒルスポーツ公園に行こうと決める。
ここは、キャンプもできるらしいので、下見をしようと思ったわけだ。片道約19km。それぼどの距離ではない。
ところが、途中できれいな公園がある。ふらっと立ち寄ると峰塚公園(羽曳野市)だとわかる。目の前に大きな古墳がある。
峰ヶ塚古墳というらしい。
さらにその奥に…
小口山古墳というらしい。
2つとも殺風景、もといワイルドな景観だ。なかなか良い。早く先に進もう。
少し脇道に入ると、閑静なウォーキングロードに。石畳に「時のルート」と書いてある。粋なネーミングだ。つか、竹内街道じゃないか。うちの近所(堺東)からずっと続いてる道。。。
そして、突然美しい古墳が。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)白鳥陵というらしい。日本武尊が息を引きとったあと、白鳥に姿を変え、いずこかへ飛び去った逸話は知っていたが、ここに飛来したというのだ!そしてまた埴生の丘に羽を曳くがごとく飛び去ったという。ゆえにこの地を「羽曳野」という。うーん、感動した!
日本武尊は、死の間際に詠んだ和歌が印象深く、私は好きである。
大和は 国のまほろば
たたなづく 青がき
山ごもれる 大和し 美 (うるわ)し
彼は、蝦夷・熊襲の征伐に東奔西走しながらも、父に疎まれ、大和に帰ること叶わず、この歌を詠んだ。
その日本武尊ゆかりの古墳が、こんなところにある。
ここはどこなんだ!?
ナビを見ると、すぐそばに応神天皇陵がドーンと存在感を表している。仁徳天皇陵に次ぐ、日本第二の古墳。ああ、古市古墳群。ここも世界遺産の地ではないか。
ここで、本日の予定変更。古市古墳群をポタリングすることにする。
竹内街道を東進し、近鉄古市駅を越えると、白鳥神社がある。やはり日本武尊を祀っている。
屈強なたくさんの男の人が宮司さんに導かれて中に入っていく。だんじりの寄り合いだろうか。
境内を出ると、東高野街道が走っている。
この辺は、この南北に走る東高野街道と、東西に走る竹内街道が交差するところで、江戸時代は大いに栄えたらしい。
応神天皇陵方面へ向かうと、誉田八幡宮という神社が。こんだはちまんぐう…うん、読めん。
ここは、非常に由緒ある神社のようで、国宝や重要文化財をたんまり持ってはる。境内もそれなりに広く、何というか、気に入った。とくに本殿正面の華美にならず、かといって素朴でもない、霊妙な雰囲気が良い。写真に撮るのが畏れ多くて、目に焼き付けておいた。
すぐ隣に応神天皇陵があり、その手前に、これまた由緒がありそうな石橋がかかっている。
放生橋(ほうじょうばし)というらしいが、面倒なので説明は省略。とにかく、八幡宮と応神天皇陵の密接な繋がりを表す遺構だ。
そして、いよいよ応神天皇陵。
うーん、見晴らしの良いところがなく、ピンとこない。ぐるっと回ることにする。
すると、仁徳天皇陵のように、陪塚がいたるところにある。大鳥塚古墳というのは、珍しく墳丘に入れたので、自転車を押して登る。
大鳥塚古墳の墳丘からの眺め。木々の向こうに見えるのは陪塚の誉田丸山古墳、さらにその奥に応神天皇陵がある、という古墳づくしの一枚。
さらにぐるっと回ると、ようやく応神天皇陵のパノラマスポットだ。
おお、大きい!満足。
しかし、ぐるっと回るといっても、徒歩だと一苦労だろう。自転車ならまったくしんどくない。あっという間だ。
ちなみに応神天皇は、仁徳天皇の父である。別名を「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」。あ、だから誉田八幡宮…遅まきながら納得。
13時帰宅。往復で38kmのライドであった。
●参考:百舌鳥・古市古墳群HP